トップニュース

旧家で「灰屋」の古文書発見・江戸期に開業の記録

2018.1.8(越谷市)
ニュース写真
 「灰屋」という商売があったのを知っていますか―。越谷市の旧家の倉庫から、このほど見つかった古文書(帳簿)で、かまどなどから集めた灰を、農作物の肥料用に売りさばく商売が江戸時代から越谷で行われていたことが裏付けられた。NPO法人「越谷市郷土研究会」(渡邊和照会長)の調査によると、古文書は1751(宝暦元)年に「灰」をやりとりした帳簿類と分かった。文字通り、灰の中に埋もれていたような史実の発掘に郷土史関係者は「江戸時代の農村経済、農家経営の歴史が見えてきた」と興奮を隠せない。


 「灰屋」の記録文書が見つかったのは、同市越ヶ谷本町の酒販店経営、冨沢康雄さん(74)方。冨沢さんは、同市郷土史研究会の会員で、研究会の依頼で昨年4月から、店舗内の一隅に研究会の事務局を置くことになり、自宅の大掃除をした際、倉庫から大量の古文書が見つかったもの。冨沢家は1700年代から、元荒川沿いの現在地にあり、冨沢さんは11代目という。

 古文書は、江戸時代の寛政年間や宝暦年間に書かれたとみられ、和紙の冊子に墨で丁寧に「灰」の流通記録(帳簿)が書かれていた。文字ははっきりと見え、保存は良好。「商売の記録」の冊子は、江戸時代から実に昭和40年まで約30冊に及んでいた。

 同研究会の調べでは、越谷の灰屋は、稲わらを燃やした灰を肥料用に業者に販売する「問屋」の役割で、灰を田んぼから集めてくる「買い子」は小遣い稼ぎ的な仕事だった。江戸には、町家のかまどの灰を集める「灰買い」もいたという。

 「越谷市史」に灰屋の記録はないが、「岩槻市史」(通史編)に「越ヶ谷の灰屋が、岩槻の原田家に灰の運送を委託、元荒川を舟運で運び、岩槻から陸路で中山道・上尾宿まで運んだ」とある。越ヶ谷には「灰屋平三郎」「灰屋平八」「灰屋次郎右衛門」の3人が灰屋を営み、冨沢家は「灰屋平八」家であることは間違いない、と同研究会はみている。

 冨沢さん自身、1955(昭和30)年代ごろ、灰を乗せたトラックを岩槻の業者のところまで運ぶのを手伝った記憶があるという。灰屋商売は、65年頃まで続いたという。倉庫からは、4dトラックに俵に入れた灰が積まれた当時の写真も見つかった。「まさか江戸時代から始まっていたとは」と冨沢さんは驚いている。

 調査したのは、同研究会の田端功政さん(81)、宮原泰介さん(71)、早川秀郎さん(79)の3人。3人は「この『灰屋平八』に、松伏や越谷の増林などから灰を売りに来ていたことが分かった。灰は岩槻を経由して川越や入間の方まで運ばれていた。さらに調査したい」としている。また、渡邊会長(74)は「貴重な古文書は、越谷市の財産にもなる。今後大切に保存していきたい」と話している。


【灰屋】 江戸時代中期(17世紀後半)、農業技術が向上し増産が始まると、自家製肥料だけでは足りなくなった。このため、燃料とした木やワラから毎日大量に出る灰を集めて業者に売る「灰買い」ビジネスが成り立ち、生産者は業者から購入した。灰はアルカリ性で土壌の中和作用があり、肥料として農村地帯の必需品だった。
>戻る