八潮市

八潮市・八潮市立資料館の企画展に協力した大工、昼間照義さん

 「大手メーカーでは出来ない技術力を生かし、生涯現役を貫く」と力強く話す。
 八幡村中馬場(現・八潮市中馬場)の農家の家に生まれた。小学生時代から手先が器用で、鳥の巣箱などを作っていた。物作りが好きで、村立八幡中卒業後、草加市の大工の下に住み込み見習い。「目で見て技術を盗んだ。最初の3年は鑿(のみ)で枘穴(ほぞあな=穴にはめこむための突起)掘りと鉋(かんな)で削り物の毎日。5時起きで11時過ぎまで働いていた」と笑う。

 独立後、21歳で実家を自力で新築。「無休で上棟式まで行った。周囲の人が心配していたが、うまく仕上がった」。家を見た人から噂が広がり、信用を得て、仕事は順調に増えていったという。「断らざるを得ないほど仕事が寄せられた」と笑顔。
 しかし、バブルがはじけ仕事量が減少。抱えていた職人たちには大工道具を作らせて給料を支払った。「路頭に迷わせたらいけないと思った」と話す。この頃から仕事の合間を見て神輿を造り始めた。

 6年かけて制作した神輿は、八潮市のイベントなどで使用され、人気を博した。神輿に見られる宮大工の技術や、これまで使用してきた道具を人々に広く知ってもらいたいとの思いで、「八潮建物解体新書」展に協力し、大工道具や神輿を展示した。
 「大工は信用と腕が『匠たくみ』の証。神社の修理や官公庁などの仕事も入って来る」。現在も長男の明彦さん(51)と、生涯現役を貫いている。