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草加市/パラ挑戦 生きる勇気に 米・パラサーフィン世界大会出場

西山健悟さん 「悲願のメダルを」

11月にアメリカで行われたパラサーフィンの世界選手権に出場した西山さん
11月にアメリカで行われたパラサーフィンの世界選手権に出場した西山さん
11月の世界選手権で波に乗る西山さん
11月の世界選手権で波に乗る西山さん


 草加市新栄の会社員、西山健悟さん(48)が先月、アメリカ・カリフォルニア州で開かれたパラサーフィンの世界大会に2度目の出場を果たした。建設現場での転落事故で下半身不随になってから8年。一度は諦めかけた人生を、このスポーツが救ってくれた。2028年のロサンゼルス・パラリンピックでは新競技採用が検討されている。西山さんは、来年の世界大会で悲願のメダルを取ることと、若い世代の競技人口が増えることを願い、トレーニングに励んでいる。
 西山さんは11月3~14日にハンティントンビーチで行われた国際サーフィン連盟(ISA)の第8回世界選手権に、日本代表の1人として派遣され、さまざまな障害クラスのうち、腹ばいの「プローン1」に出場した。結果は二回戦で敗れ16位。初出場ながら、メダルまであと一歩の5位だった昨年に及ばなかった。
 「悔しかったが、それより(障害がさらに重い)プローン2の選手たちを見ていると、もっと頑張らなきゃと思った」と話す。
 小中高と野球漬けだった。高3で現役を引退すると、先輩にサーフィンに誘われ、たちまちそのカッコよさにハマった。屋根や外壁工事の職人として働く傍ら、サーフィン仲間と千葉や茨城の海に通い詰めた。
 だが、2015年9月、突然、悲劇が襲う。建物3階の足場で作業中、物を下ろそうと安全帯を外した瞬間、バランスを崩して転落。病院で意識を取り戻した時は、すでに1度目の手術の後だった。1週間たって、下半身が動かないと自覚した。妻も、翌年、小学校に上がる息子もいたが、「もうどうでもいいや。死んでもいいかなと思った」。

 仲間に救われた

 だが、毎日交代で見舞いに来てくれた仲間たちから、「リハビリしてサーフィンに戻ってこい」と言われ、すさんだ気持ちも次第に落ち着いていった。
 「小さい時から水泳や野球をやってきて、精神的に強かったんだと思う」と父の敬二郎さん(72)(草加市少年野球連盟理事長)は言う。
 「立てなくても、もう一度サーフィンがやりたい」とプールのある施設に移り、リハビリに励んだ。久しぶりに海に連れて行ってもらうと「ああ、やっぱり海は楽しい」と実感した。
 さらに競技の道に進んだのは、車いすになったことの影響を心配したからだ。「大会で優勝して有名になれば、子どもがいじめられずに済むんじゃないかと思った」と苦笑する。
 17年のえひめ国体に県代表として水泳で初出場し、自由形で優勝、平泳ぎで2位に。その頃、パラサーフィンというスポーツがあることを知った。「大会に出てみたい」と話すと、仲間が喜んでくれた。以来、トレーニングは欠かさない。
 一方、仕事は、2年間かけてワードとエクセルの資格を取り、草加市北谷の訪問看護・介護ステーション運営会社「ヒューマン&ネイチャー」で週3回の事務職に就いた。大会出場も職場が応援してくれる。
 今はパラサーフィンの普及活動にも取り組んでいる。「まだまだ認知度が低いスポーツ。パラリンピックの種目になれば注目度が上がって、競技人口も増える」と期待を寄せている。


 パラサーフィン サーフィンと同様、ボードで波に乗り、スピード、パワー、ターンなどの出来栄えを競う採点競技。上肢障害の「スタンド1」、膝下障害などの「スタンド2」、ニーボードを使用する「ニール」、腹ばいの「プローン1」、腹ばいで、かつサポートを必要とする「プローン2」、視覚障害の「VI」などの障害クラスに分かれている。