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河畔砂丘に竪穴式住居 海道西遺跡で説明会 

「海道西遺跡」について説明する莵原さん
「海道西遺跡」について説明する莵原さん


 古代の越谷には「河畔砂丘」という砂丘地があり、人の暮らしがあったーー。越谷市大林の「海道西遺跡」でこのほど現地説明会が開かれ、市民約20人が参加した。NPO法人越谷市郷土研究会、NPO法人住まい・まちづくりセンター、越谷市住まいまちづくり協議会が、川沿い歩きイベント「リバーウォーク」の一環として初めて実施した。
 今年4月から5月にかけて、平安時代(9世紀頃)の竪穴式住居と河畔砂丘地を示す砂地が発掘された。市内での河畔砂丘の遺跡発見、平安時代の竪穴式住居発掘はいずれも初めて。
 同遺跡は元荒川沿いで、流域の西側に「大道遺跡」もあり、今回の発掘で古代に複数の集落があったことがわかった。県内の河畔砂丘の南限は越谷市とされ、河畔砂丘で暮らす庶民がいたことを証明する貴重なものとなった。
 調査した同市教育委員会生涯学習課の莵原雄大・主査は説明会で、「市内には平安時代創建とされる寺社が存在し、市域に同時代の集落がある程度展開していたと考えられるが、その証拠を示すことができた」と強調。「砂丘なので住居の壁は流出したと思っていたが、意外にしっかり残っていた。砂丘の中でも比較的硬い層まで掘り下げ、さらに住居床面を硬化させるなどの工夫をしていたと思われる」と話した。
 参加した市内の男性(71)は「越谷に砂丘があったことに驚いた。平安時代に人が住んでいたと聞き、歴史の重みも感じた」と話していた。
 河畔砂丘は、河原の砂が風によって巻き上げられ、高く積み上がったもの。大量の砂を運べる大河川があり、乾燥した季節に一定方向の風が吹き続けるなど、いくつか条件がある。国内では珍しく、利根川旧河道、木曽川、北上川など太平洋側の大河川沿いにしか形成されていない。
 県内では、羽生市から越谷市にかけての利根川旧河道沿いに点々と分布している。同旧河道は、かつて利根川が東京湾へと流れていた頃の本流筋で、流れてきた榛名山や浅間山の火山灰などによって砂丘が形成された。現在の元荒川、利根川の旧河道。
 今回の発掘は、市内の住宅メーカーによる分譲住宅建設に伴い、越谷市教育委員会が実施した。発掘面積は約140平方㍍。発見された竪穴式住居は約14平方㍍。土器類も土師器(はじき)、須恵器、土錘(どすい)(魚を捕る重り)など数千点が見つかり、特徴から平安時代の遺跡と判明した。住居内にはかまどや炭の跡もあり、生活していたことが明らかになった