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戦後78年 「平和の尊さ」被爆語る思い

三郷市 長崎の池田さん招き講話

被爆体験を語る池田さん
被爆体験を語る池田さん

 長崎原爆で被爆した語り部の池田道明さん(84)による被爆体験講話が3日、三郷市と長崎市の共催で、三郷市役所大会議室で行われた。同市が戦争や原爆被災の実相を多くの人、特に戦争を知らない若い世代に伝え、平和の大切さを理解してもらおうと行っている「平和意識高揚事業」の一環。親子連れなど市民約60人が参加し、関心の高さをうかがわせた。
 1945年8月9日午前11時2分、米軍機が投下したプルトニウム型原爆が長崎市上空500メートルで爆発。当時の推定人口24万人のうち7万3884人が死亡、7万4909人が負傷した。
 池田さんは当時6歳の小学1年。母が看護師として勤務していた長崎医大附属医院(現・長崎大学病院)にいた。友だちのシゲちゃんと屋上で爆弾の破片集めごっこをして、1階に下りてきたところで「ピカッ!」と光り、気絶した。気が付くと吹き飛ばされていた。中庭では10人ぐらい焼け焦げて死んでいた。
 街は火の海で、やけどを負った人々が逃げてきた。倒れるとそこで死んでいった。火の手を逃れるため病院裏の段々畑に逃げると、突然、雨が降ってきた。放射性物質を大量に含んだ「黒い雨」だった。高射砲陣地にたどり着き、防空壕(ごう)に入れてもらった。
 翌朝、山を下りると、病院ではぐれた母と再会できた。安心してボロボロ泣いた。病室では患者12人中3人が生き残っていた。水をくんできて飲ませてあげたが、2人が死んだ。「最後に水を飲ませてもらい、安心して死んだんだよ」と言われた。大阪の看護学校で空襲に遭った姉が戻ってきて、2人で親戚の家に行くことになった。
 シゲちゃんは無事だった。だが、入院中だったお母さんは背中に破片が大量に刺さり、付き添っていたおばあさんもけがをした。2人は間もなく亡くなった。戦災孤児になったシゲちゃんは福岡県に引き取られていった。
 「終戦78年。今も世界では戦争がある。若い人たちにお願いしたい。日本、世界、地球全体のことを考え、大事にしてほしい」と池田さんは締めくくった。
 三郷市内から家族4人で参加した中学2年の佐々木奏穂(かほ)さん(13)は「戦争は実感がなかったが、細かい行動まで話してもらえたので、イメージが湧いた。この先、戦争がないといいと思った」と話していた。
 市役所1階市民ギャラリーとららぽーと新三郷「ららほっとみさと」では16日まで「長崎原爆パネル展」も行われ、多くの市民が見入っていた。