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サツマイモやサンマに舌鼓・被災者の会が1年ぶり集合

楽しい語らいが続く「あゆみの会」の収穫祭


 東日本大震災により越谷市に避難した人たちでつくる「あゆみの会」(石上清代表、会員60人)は9日、同市東越谷の畑「あゆみの会農園」で「サツマイモの収穫&さんま祭り」を開き、会員ら約50人が参加した。会員は主に東京電力福島第一原発事故のため、周辺市町から国の指示で避難を強いられた人たち。年1回の集まりで、久しぶりに福島出身者らが集まり、話に花が咲き、笑顔が広がった。

 同会の母体となったのは、震災直後の2011年4月に越谷に避難してきた人たちで結成した「越谷一歩会」。その後、10市町村で一部または全域で避難指示が解除され、福島に戻る人が増えたため、15年3月に活動を休止。ただ、越谷に残った多くの避難者が孤立しないよう交流できる場として、16年6月に新たに「あゆみの会」を発足させた。

 今年5月、同農園で会員らがサツマイモの苗400本を植え、交代で草取りなどをして育ててきた。この日、久しぶりに集まった会員たちはまずイモ掘りを楽しんだ。雨上がりの晴天の中、収穫の喜びを満喫。収穫後はお楽しみの食事会「さんま祭り」。石上代表が福島県いわき港で購入してきたサンマの塩焼きをメインに、福島県産米で作ったおにぎり、イモ天、野菜のおひたし、豚汁など秋の味覚を味わっていた。 

 楢葉町から避難していた佐藤カヨ子さん(80)は「今年8月に故郷の楢葉町の復興住宅に引っ越した。越谷に来て11年、市内に自宅も購入したけど、やはり故郷が忘れられなくて戻った。でも越谷でのこうした行事には今後も参加したい」と話す。
 一方、大熊町から避難している渡部まゆみさん(64)のように、「自宅は中間貯蔵施設(除染で取り除いた土壌や廃棄物を保管する施設)用地として、国に土地を売ってしまい、福島には帰れない」という人も。
 浪江町出身の石上代表(71)は「震災から10年以上たち、皆、生活基盤は越谷になっている。私自身も浪江の家は解体して住めない。今はこの会を運営するのが癒やし。皆の心のよりどころになれば」と話していた。

 越谷市内では今も177人(8月1日現在)が避難生活を送っている。